peu à peu

ドイツで妊活しています

不育症の検査

不育症...?

通っていた病院では検査を受けられないため、くちこみや通いやすいさから、日本医科大学病院で検査を受けることにしました。

 

検査は流産後2回の生理を見送って、ホルモンバランスなどが整ってから、受けられます。

すぐにでも!という気持ちでしたが、まずは紹介状を書いていただき、予約。先生がお一人のため、お問い合わせをしてからひと月くらい先の初診日になりました。

 (予約なしでも、先生がいらっしゃる曜日は診ていただけますが、1日待つ可能性があるそうです )

 

そして、初診。

優しくはっきりとお話ししてくださり、質問もしやすく、とても安心感のある先生でした。

これまでの妊娠と流産についての確認をして、内診、採血をして、終了です。

血液検査は自費と保険診療と、別日に分けて受けることになりました。

 

結果、1か所だけ値が足りていませんでした。

第12因子凝固活性 49.5

普通に生活していくには十分な値なのですが、妊娠出産するための基準値には達していないそうです。

 

妊娠の可能性がある間だけ、バイアスピリンを1錠服用することとなりました。

先生の経験上、夕食後に飲むのが効果的とのことで、その通りに飲んでいます。

 

赤ちゃん、今度は産みたい..!

 

<費用>

初診・内診・血液検査 8,570 yen

自費血液検査 23,485 yen

夫染色体検査 10,780 yen

妻染色体検査・診察 10,910 yen

それから…

2度目の流産後、仕事をしばらくお休みすることになりました。そしてそのまま退職。

 

赤ちゃんを守ることができず、天職と感じていた仕事は手放し、何もなく空っぽな日々です。

虚しさや劣等感、焦り、人生で経験したことがない辛さと悲しさで、鬱々と過ごしていました。

 

元気な心拍、夫にも見せたかった。

でも同時に見えたひしゃげた胎嚢…

どちらも頭から離れず、殺してしまった、という思いも強いせいか、夜は恐ろしい夢に震えることもありました。

 

ただ、きっともう一度妊娠する…

そんな希望のような思いもあり、まずは不育症の検査をすることにしました。

 

 

2度目の妊娠と流産

繁忙期の間に、2度目の妊娠が分かりました。流産後2回の生理を見送って、それから約半年後のことです。

ちょうど、治療の末妊娠したという友人から、病院へ通うことをおすすめされ、繁忙期が終わったらまた病院へ通おう!と少し前向きになったところでした。

 

今度は元気に赤ちゃんが育っていると信じて、繁忙期後、診察へ行きました。

ドキドキしながら診察を受けると、先生は、7割り流産です、と…

その後、前回にはなかった元気な心拍も確認できましたが、胎嚢はひしゃげていて、翌週には赤ちゃんの心拍が止まりました。

 

今回は、前回より大きさもあるために、心拍停止のまた翌週には、掻爬手術となりました。

全身麻酔をするため、帰りに付き添いが必要とのことで、夫も仕事を休み、病院へ付き添ってくれました。

手術はすぐに終わり、麻酔がしっかり覚めるまで、下腹部痛がひどくなっていくのを感じながら、ベットでお休み。午前中のうちにその痛みも和らぎ、お支払いまで終えて、ふわふわしながら、夫と帰宅しました。

 

気持ちがいっぱいいっぱいで、今回は水子供養をしませんでした。

 

<掻爬手術の費用>

16,100 yen

それから

ちょうど私が稽留流産となった月に、友人も妊娠。おめでとうという気持ちはあるのに、羨ましさと悔しさが混じってしまいます。

 
友人のおなかは大きく大きくなっていきます…
別の友人も妊娠。
でも、私はからっぽなまま。
妊婦さんや子ども連れの家族を見ると、涙が出てきます。
 
好きな仕事をしていると、気分も紛れて癒されます。
妊娠のことを考えるのは意識してやめて、仕事も繁忙期に入りました。

1度目の妊娠と流産

約1年授からず、不妊検査をと選んだのは、御茶ノ水にある浜田病院。

不妊科専用の待合室があり、東大病院の先生がいらして診察してくださいます。
曜日により違う先生がいらっしゃるので、できるだけ女医さんの曜日に行っていました。とても歯切れよく、お話してくださいます。

約4ヶ月後、全項目の検査が終わったところで、妊娠。
検査は全て問題なし・原因不明不妊とのことで、セキソビットを服用していました。
(クロミッドは効きすぎて、卵胞が2つ育ち、内膜も薄くなってしまいました)
 
舞い上がったものの、茶オリが出ていたため、不安で毎日のように流産を調べていました。
結局、育ちが悪く、心拍をぎりぎり確認できた翌週に、心拍停止…
 
初期の稽留流産で、大きさも小さいため、処置はせず、約1ヶ月後に進行流産となりました。
 
進行流産を待つひと月は、とても長くてこわくて悔しくて、はやく出てきてとおなかを叩いたこともありました。夫は、ただの細胞でしょうと…
赤ちゃん…ごめんなさい。
 
おなかの中がきれいになると、
赤ちゃんをもっと信じて過ごしたらよかった!
流産を待つ間もずっと、おなかにいてくれる時間を愛おしんで過ごしたらよかった!
夫にも命を実感してもらうべきだった!
とかなんとか、寂しくて虚しくて、やりきれず悲しかったです。
 
それから少し経ち、夫にお願いをして、夫婦で浅草寺 鎮護堂へ行きました。
毎月24日午前10時に合わせて行くと、他の方と一緒に、供養の法要をしていただけます。
 
どうしていなくなってしまったんだろう。