peu à peu

ドイツで妊活しています

それから…

2度目の流産後、仕事をしばらくお休みすることになりました。そしてそのまま退職。

 

赤ちゃんを守ることができず、天職と感じていた仕事は手放し、何もなく空っぽな日々です。

虚しさや劣等感、焦り、人生で経験したことがない辛さと悲しさで、鬱々と過ごしていました。

 

元気な心拍、夫にも見せたかった。

でも同時に見えたひしゃげた胎嚢…

どちらも頭から離れず、殺してしまった、という思いも強いせいか、夜は恐ろしい夢に震えることもありました。

 

ただ、きっともう一度妊娠する…

そんな希望のような思いもあり、まずは不育症の検査をすることにしました。

 

 

2度目の妊娠と流産

繁忙期の間に、2度目の妊娠が分かりました。流産後2回の生理を見送って、それから約半年後のことです。

ちょうど、治療の末妊娠したという友人から、病院へ通うことをおすすめされ、繁忙期が終わったらまた病院へ通おう!と少し前向きになったところでした。

 

今度は元気に赤ちゃんが育っていると信じて、繁忙期後、診察へ行きました。

ドキドキしながら診察を受けると、先生は、7割り流産です、と…

その後、前回にはなかった元気な心拍も確認できましたが、胎嚢はひしゃげていて、翌週には赤ちゃんの心拍が止まりました。

 

今回は、前回より大きさもあるために、心拍停止のまた翌週には、掻爬手術となりました。

全身麻酔をするため、帰りに付き添いが必要とのことで、夫も仕事を休み、病院へ付き添ってくれました。

手術はすぐに終わり、麻酔がしっかり覚めるまで、下腹部痛がひどくなっていくのを感じながら、ベットでお休み。午前中のうちにその痛みも和らぎ、お支払いまで終えて、ふわふわしながら、夫と帰宅しました。

 

気持ちがいっぱいいっぱいで、今回は水子供養をしませんでした。

 

<掻爬手術の費用>

16,100 yen

それから

ちょうど私が稽留流産となった月に、友人も妊娠。おめでとうという気持ちはあるのに、羨ましさと悔しさが混じってしまいます。

 
友人のおなかは大きく大きくなっていきます…
別の友人も妊娠。
でも、私はからっぽなまま。
妊婦さんや子ども連れの家族を見ると、涙が出てきます。
 
好きな仕事をしていると、気分も紛れて癒されます。
妊娠のことを考えるのは意識してやめて、仕事も繁忙期に入りました。

1度目の妊娠と流産

約1年授からず、不妊検査をと選んだのは、御茶ノ水にある浜田病院。

不妊科専用の待合室があり、東大病院の先生がいらして診察してくださいます。
曜日により違う先生がいらっしゃるので、できるだけ女医さんの曜日に行っていました。とても歯切れよく、お話してくださいます。

約4ヶ月後、全項目の検査が終わったところで、妊娠。
検査は全て問題なし・原因不明不妊とのことで、セキソビットを服用していました。
(クロミッドは効きすぎて、卵胞が2つ育ち、内膜も薄くなってしまいました)
 
舞い上がったものの、茶オリが出ていたため、不安で毎日のように流産を調べていました。
結局、育ちが悪く、心拍をぎりぎり確認できた翌週に、心拍停止…
 
初期の稽留流産で、大きさも小さいため、処置はせず、約1ヶ月後に進行流産となりました。
 
進行流産を待つひと月は、とても長くてこわくて悔しくて、はやく出てきてとおなかを叩いたこともありました。夫は、ただの細胞でしょうと…
赤ちゃん…ごめんなさい。
 
おなかの中がきれいになると、
赤ちゃんをもっと信じて過ごしたらよかった!
流産を待つ間もずっと、おなかにいてくれる時間を愛おしんで過ごしたらよかった!
夫にも命を実感してもらうべきだった!
とかなんとか、寂しくて虚しくて、やりきれず悲しかったです。
 
それから少し経ち、夫にお願いをして、夫婦で浅草寺 鎮護堂へ行きました。
毎月24日午前10時に合わせて行くと、他の方と一緒に、供養の法要をしていただけます。
 
どうしていなくなってしまったんだろう。
 

妊活と治療の記録

タイミング指導とセキソビット服薬で妊娠したものの 2 度流産し、不育症の検査をしました。原因になりうる結果は...

 

AMH 2.64 ng/ml(実年齢より4歳くらい上でした..)

第12因子凝固活性 49.5

 

いまは検査から半年くらい経ちますが、引き続きタイミング指導を受けながら、妊娠の可能性がある間は低用量アスピリンを服薬しています。

同じような状況からの妊娠出産や治療について検索しているのですが、不育症の情報が少ないため、私の治療も情報のひとつになればなと記録することにしました。遡って 1 度目の流産から記事を書いていきます。